ANYTIME Letter | 結果だけで批判したら、挑戦なんて誰もしなくなる。

ANYTIME Letter | 結果だけで批判したら、挑戦なんて誰もしなくなる。
終わりましたねぇ…4年に一度のスポーツの祭典…リオ・オリンピック…。
競泳、カヌー、体操、フェンシング、卓球、テニス、バスケットボール、レスリング…今回も、筋書きのないドラマが沢山ありました…。正直、LIVE中継の時間帯がきつかったですよね…寝不足なのに目が離せない…。そんな2週間でしたので、ぽっかり心に穴が空いた状況の人も多数いらっしゃるのではないでしょうか?笑

さて、そんな中、このメルマガではよく取り上げさせていただいております、元オリンピアンズの為末選手が、オリンピック時の選手のインタビューに関して以下のようなコラムを書いていらっしゃいました。

日本選手はなぜ謝るのか/為末大学

現役時代にはあまり気がつかなかったが、引退してからミックスゾーンにメディア側として立って、あらためて感じたのは日本選手のインタビューの特異さだ。成績が悪かった時のアメリカ選手が、自分なりの敗戦理由と次の目標を語るのに比べ、涙を流しながら「期待に応えられずに申し訳なかった」と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。

 日本の選手のインタビューは似通っていると言われるが、私はその一端に、この謝罪の要求というのがあるのではないかと思う。負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく。

 選手に謝罪を要求することの弊害が2つある、と私は考えている。
1つは、五輪という舞台で選手が一体どう感じたのかという、その瞬間にその人しか語れない言葉にふたをしてしまう可能性があるということだ。勝ち負けを超えて、世界の頂点の舞台で感じたことや、やろうとしたことを聞けるのは、社会にとって大きな学びになるはずだ。
 もう1つは、この国から挑戦心がなくなってしまうことだ。彼らは長い間トレーニングをしてきて、挑戦をし、勝ち抜いて代表になった選手たちだ。その選手たちの挑戦の部分を評価しないで、最後の結果だけで批判をする。そうなれば子供たちも社会も、挑戦をすること自体をやめていく。

 一体どの程度の割合で批判をしている人がいるかというと、私はごく少数ではないかと考えている。私も含め多くの人は挑戦自体が素晴らしいし、一生懸命やってきたのは自分なんだから、自分の気持ちを素直に出せばいいと感じていると思う。
 日本はこれから厳しい局面を迎える。超高齢社会を迎える中で、挑戦できる人たちが自分らしく挑戦をしていかないと生産性も高まらず、国が衰退していく。結果は運だが、挑戦は意思だ。挑戦をするという意思を持って厳しいトレーニングをし、その場に立った。結果の前にそのことをまず尊敬し、そこから姿勢を学ぼうとする社会であってほしいと私は思う。

引用:日刊スポーツコラム

みなさん、いかがでしょうか?
これはアスリートに限ってことではありません。
我々の日常、仕事においても同じことが言えるのではないでしょうか?
挑戦の部分を評価しないで、結果だけで批判する。
その結果、だれも挑戦しなくなってしまう…。
あなたの職場はそうなっていませんか?

2020年 TOKYO OLYMPIC

わたしたちエニタイムが、日本に挑戦する意志を示して10年目の節目の年です。

今一度、挑戦する者としての意志を強く持ち、4年後に金メダルを目指しましょう!

Get to a Healthier Place!!