PeopleVol.10

地元の人に愛される理想のビールを造りたい

People Vol.10 醸造家/「さかづきBrewing」経営  金山尚子さん

2016年、大手ビール会社に勤めていた金山尚子さんは、独立して醸造所を併設した小さなブルワリーパブをオープンしました。クラフトビールブームを追い風に、地元の人たちに愛される店に成長した2020年、さらなる品質向上を目指して新設備を導入した新店舗に移転。コロナ禍の中での新店舗スタートとなった金山さんに、仕事の喜びについてうかがいました。

People

金山 尚子(カナヤマ ショウコ)
1980年、大阪府出身。東北大学大学院農学研究科修了。大学院で微生物を研究し、大手ビール会社に入社。生産工場での品質管理担当を経て研究開発部門に異動し、技術者としてビールの新商品開発や醸造技術開発に携わる。独立し、醸造所を併設したブルワリーパブ「さかづきBrewing」を東京都足立区北千住に開店。
https://www.facebook.com/sakaduki/

安定よりも自由を優先

数年前から第3次クラフトビールブームが現在進行中の日本。街の中で小さな醸造所や、ブルワリーパブを見かけることが多くなりました。金山尚子さんは大手ビール会社でビール造りや研究開発に携わったキャリアを生かし、2016年に独立。自分のブルワリーパブをオープンしました。まずは独立までの経緯を聞いてみました。

●もともと醸造に興味があったのでしょうか。

食べることが好きなので畜産か水産をやりたくて、大学はその両方がある農学部に進みました。牛の胃袋の中にいる微生物を研究する研究室に入ったことがきっかけで、乳酸菌など、食品と結びつきの強い微生物の研究をしました。

就職活動をする時は、研究が仕事と結びつくかどうかはあまり考えていなかったのですが、自分が好きなビールの会社を受けました。最初はビール工場に配属されて生産の工程管理、品質管理を担当し、醸造機械とビールの製造方法などを勉強させてもらいました。大学の研究を直接生かせるわけではありませんでしたが、工場の仕事や造る現場がとても楽しくなって、特に異動の希望は出していませんでした。ちょうど5年目に研究所に配属が決まり、そこからビール開発、技術開発に携わりました。

●ビールの味はどうやって決まるのか教えてください。

麦芽の種類、酵母、ホップといった原料の組み合わせによって味が変わります。日本のビールは、もともとビジネスマンが仕事上がりにさらっと飲むものとして開発が進められてきたように思います。高温多湿の風土ということもあって、味よりは喉越しにフォーカスが当たっています。味はできるだけすっきりと、炭酸ガスを強めにして喉越しを楽しむビールが好まれました。日本にビールが入ってきたルーツにドイツの技術者や、ドイツのマシンがあったという経緯もあって、ドイツ式の、いわゆる黄金色のラガータイプが主流になりました。

●会社員時代に金山さんが開発したビールはありますか?

「世界ビール紀行」という、各国の伝統的なタイプのビールを限定醸造したシリーズを手がけました。第3弾まで造っていたのですが、ちょうど東日本大震災で福島にあった生産工場が被災したため、第3弾は幻に終わってしまいました。当時はまだクラフトビールブームはきていなくて、そのまま終了してしまいました。

●早過ぎたのですね。ビール会社をやめて独立したきっかけを教えてください。

研究所に移ってビール開発をすることになり、アメリカに1ヶ月弱ぐらい視察に行く機会がありました。そこで、ビールを飲むシーンが、アメリカと日本では全然違うということを感じました。

日本だと、仕事終わりにビールを飲んでリフレッシュ、という感じですが、アメリカでは街の中にブルワリーが何軒もあって、住民が気軽に飲みに来ていたり、大きな瓶を片手に来店してビールを持ち帰って家で飲んだりと、暮らしの中にビールが溶け込んでいる感じでした。ビールの種類もたくさんあるし、すごく自由だなと思いました。

●アメリカのビールというとバドワイザーが思い浮かびますが、クラフトビールの文化もあるのですね。

クラフトビールのブルワリーは、(地域にもよりますけれども)1980年代から現在にかけて継続して増えていて、ひとつの都市に50軒以上ある場合もあります。世界的に見てもクラフトビールブームはアメリカが一番強いと思います。

アメリカのクラフトビール文化がとても面白いと感じたのと同時に、当時30代になったばかりで、今後のキャリアのことを考えるタイミングだったこともあり、自由にビール造りをやれたらいいなと感じました。

地元に愛される店を目指して

ヨーロッパのビール文化をルーツとするアメリカでは、工場生産の画一的なビールに飽き足らない、とクラフトビールブームが始まったのだそうです。造り酒屋が各地にあり「地酒」ブームが先行していた日本では「地ビール」ブームから始まり、今は金山さんのような若い造り手が、各地で特色ある小さなクラフトビールのブルワリーを立ち上げています。

●大企業の安定した職を捨てて独立するのは勇気が必要だったと思いますが、最も苦労されたことは何ですか。

よく聞かれるのですが、安定に対する優先順位が自分の中では低かったのだと思います。安定よりも、とにかく自由にやってみたい、という気持ちの方が大切でした。飲食店経営の本を1冊読んで、独立しました。

一番苦労したのは店舗探しですね。思うような場所がなかなか出ませんでした。通常の飲食店と違い、ブルワリーを造るためには、広さも必要ですが、ビールを仕込むと機材の重量が数百キロになってしまうので1階であることが必須です。他にも、駅からのアクセスとか、人が住んでいるとか、やりたいことを考えていくと条件が厳しくなってしまって。

●北千住を選ばれた理由は何ですか。

アメリカでの経験から、地元の人に飲んでほしい、地元に愛される店にしたいと考えていたので、人が住んでいて、地元で消費活動がされている場所、具体的に言うと、住宅街に隣接した商店街が発達していて、さまざまな年代の人でにぎわっている街に出店したいと考えていました。そういう場所は東京でも少ないのですが、いろいろ調べて北千住に可能性を感じました。

●オープンしてからの苦労はありましたか。

当時、ちょうど日本もクラフトビールブームが始まっていた時で、オープン当初はゆっくりマイペースでやろうと思っていたら、全然そんなわけにいかなくて、いい意味ですごく忙しくなりました。ビールが売り切れてしまうこともしょっちゅうで、一度ビールが全てなくなってしまい、次のビールが出来上がるまで数日間お店を閉めなければならなかったこともありました。それがすごくつらかったです。

●ビール造りは順調だったのでしょうか。

実は結構厳しかったのです。会社に勤めていた頃は、ビール開発部にはいましたけれど、フルーツが入ったビールや、ちょっと変わったビールなどはあまり造ったことがなかったので、クラフトビールの調査や勉強を一からしました。それと並行しながら店にも立って、醸造もやって、という状態で全然時間がなくてすごく大変でした。

新店舗に移転したのは生産量を増やしたいということもあったのですが、最初のブルワリーはお金がなかったので、ラーメン屋さんで使用するような寸胴と、コックなどのパーツを買ってきて醸造設備を自分で設計しました。そのため、クオリティーもあまり良いとは言えなかったので、理想のビールを造るためにきちんとした醸造設備を整えたいという思いがあり、移転を決意しました。

ところがコロナでパンデミックになってしまって。幸い、1階に量り売りコーナーを新設したので、現在はペットボトルに詰めたり、お客さまが持ってきた容器に詰めたりして、テイクアウトをやっています。

“何杯でも飲める”理想のビール

プライベートではトライアスロンが趣味だという金山さん。勉強しながら開業し、さらに新店舗をオープンしたその姿は、「自由」のために走り続けている超人という印象です。そんな金山さんの理想のビールとは、どんなビールなのでしょうか。

●理想のビールというのは、どんなビールですか。

まだ見つけられていないのです。季節ごとの旬の材料を使ったビールやフレーバービールは話題性もあるし、多くの人に喜んでいただけますが、究極は“何杯でも飲める”ビールを造りたい。おしゃべりしながら、料理を食べながら飲んでいただける、この店の定番になるようなレギュラービールを造りたいです。現在もお店のレギュラービールはありますが、まだ満足していません。自分の理想は、日本のラガービールのような、誰からも愛されるビールです。でもそのようなビールは醸造家の腕が試される、ごまかしの利かないスタイルなので、怖くてまだ着手できていません(笑)。

●仕事で一番大切にされていることは何ですか。

その場で造ったビールと料理を出すという、この現場を一番大事にしています。お客さまとの接点がとても大事です。今は新型コロナウイルスのこともありますし、個人的には子どもが生まれてとても忙しいですけれども、毎日お店に出て、できるだけ現場でお客さまと話すということを大切にしています。

●ビール造りも接客もどちらもやるのは大変そうですが、今後は生産体制を増強していくのでしょうか。

自分でやりたい、という思いが強いので、あくまで自分が一番ビールのそばにいたいと思います。どちらもやるのは大変でしょう、とよく言われるのですが、接客も自分でやりたいのです。造るところから売るところまで全部自分でやりたい。それができる環境にいられるのが幸せです。

●仕事で一番の喜びは何ですか。また将来の夢や目標はありますか。

仕事をしていて一番うれしいのは、やはりビールがおいしくできた時です。発酵が終わって、ある程度落ち着くまでビールの味は決まらないので、2週間ぐらいはらはらしながら待っています。おいしくできると素直にうれしいし、失敗するとすごく悲しいです。

将来の目標は、まずはこの店を一人前にしたい。先ほどお話ししたレギュラービールもそうですけれども、自己満足ではなく、客観的に評価されるビールを造って、ブルワリーとしての基本である「ビールをおいしく造る」ということをしっかりやりたい。お店を増やしたいというよりは、地元の人に愛されるビールを造りたいです。

●すべての人が金山さんのように独立できるわけではないですが、仕事で悩んでいる人に何かメッセージをもらえませんか?

わたしの場合は、安定よりも自由に仕事をしたいという思いが強くて、優先順位が明確だったので会社を辞めることに迷いはありませんでしたし、後悔もありませんでした。自分は何をやりたいか、優先順位が高いのは何かというのをしっかり見極めたら勇気が出ると思います。自分の中で優先順位が一番高いことを選択すれば、たとえ失敗したとしても、自分が選んだ道なので納得できると思います。

金山さんのお店はいつもお客さんがいっぱいで、地元に愛されていることが伝わってきます。取材中もマイボトルや空のペットボトルを片手にビールを買いに来るお客さんでにぎわっていました。そもそも自由に仕事がしたくて独立したという金山さんにとって、造るところから売るところまで、全部自分で考えて、納得してやれるというところに仕事の喜びがあるようです。自分の力で自分のヘルシアプレイスをつくる、それが、おいしいビールを提供するブルワリーパブという形で地元の人たちのヘルシアプレイスにもなるという、理想的なエコシステムですね。

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