PeopleVol.15

トレイルランナー井原知一

トレイルランニングの奥深さ
そして終わることのない楽しさ

文・井上英樹(MONKEY WORKS) 写真・香西寛司
天狗伝説のある高尾山(東京)。その山をフィールドに毎日走る人がいます。彼の名は井原知一さん。『生涯で100マイル(約161km)を、100本完走』を掲げる、100マイルレースを完走した日本を代表する「100マイラー」です。また、トレーニングプログラムをオンラインでコーチングする会社『TOMO’S PIT』を運営するなど、数多くのランナーのサポートも行っています。井原さんにトレランの魅力やご自身の目標について伺いました。

Profile

井原知一(イハラ トモカズ)

株式会社TOMO’S PIT代表取締役。1977年、長野県生まれ。アメリカの大学を卒業後、入社した会社の企画がきっかけでトレイルランニングに出合う。初めての100マイルは、2010年に自ら企画したレースT.D.T(ツール・ド・トモ)。以降100マイルの魅力に取りつかれ、『生涯で100マイルを、100本完走』を掲げて走るようになる。自ら立ち上げた『TOMO’S PIT』を通じてコーチングも手掛けている。

シューズを履き、
家の扉を開いたら、
もうランナーなんです。

「近くの神社で話しましょうか」。高尾駅で待ち合わせをした井原さんはそう言って山の方へと歩き出しました。きつい階段を上りきると高尾の町が一望できる神社に到着。「あそこが僕の家で…」「あそこから山に入ることができるんですよ」と、町を眺めながら地域の説明をしてくれます。「今日も走ってきたんです」。その様子から、フィールドに入って走ることが好きでたまらない様子がうかがえます。

そもそもはダイエット企画で
走り始めた

井原さんは昔から運動が好きだったのですか?

少年時代、イギリスに住んでいました。その頃はラグビー、サッカー、空手など、どんな運動も大好きでした。もちろん、当時から走ることも好きでしたね。スポーツ好きはスポーツ万能の父の影響が大きいと思います。家には野球、陸上、ボーリング、釣りなどのトロフィーがずらっと並んでいました。

アメリカの大学でトラベル・ホスピタリティーの勉強をしたのですが、正直に言うと自分のやりたいことではなかったんです。なんとなく、周りに流されて専攻した感じです。大学を卒業し、IT系の仕事をした後、アメアスポーツジャパン株式会社というスポーツ商社に入社します。そこでトレッドミルなどのフィットネスマシンを手掛けるプリコーという企業を担当しました。当初はIT系での採用だったのですが、12年間いる間にいろいろなポジションを担当することができました。そして退社後にランナーをコーチングする『TOMO’S PIT』を起業することとなります。

写真:山本遼

トレランを始めたきっかけがダイエットだと聞いたのですが、本当ですか?

そうなんですよ(笑)。当時は体重が98kgほどあったんです。毎年、HFJ(Health Fitness Japan)という展示会が開催されていて、ある時プリコーのトレッドミルを使ってBMI(身長と体重から肥満度を示す数値)を減らそうという社内企画がありました。新人だった僕は「君が走れ!」と言われたんです。まあ、僕が適任だったのでしょうね(笑)。

トレッドミルで走り込んだ結果、3カ月間で7kgほど痩せました。すると、自分の中に変化が起こったんです。当時の僕は自分に対して自信が持てず、人生もそんなに楽しくなかった。だけど、走ると自分自身が変わったような感覚がありました。その頃に『斑尾フォレストトレイル』というトレランのレースを知り、15kmにエントリーしました。それで山を走り始めたんです。

初めてのトレランはいかがでしたか?

練習で陣馬山と相模湖駅の往復を走ったのが初めてでした。青空の下を走る爽快感が心地よかった。鳥のさえずりも心地よかったし、土の匂いさえも覚えています。当然、楽しいだけじゃなく辛いです。だけど、トレランは辛さに加え、楽しさ、美しさなどの感情が凝縮されていました。「なんだ、このスポーツは!」と思いましたね。まさにトレランの稲妻に打たれた感じです。それからトレランのとりこになりましたね。

ランナーは
楽しさを共有する仲間

井原さんをとりこにしたトレランの魅力とはなんでしょう。

美しい自然の中を走るので、純粋にスポーツとしても楽しいと思います。ただ、楽しいだけではない。辛ければ辛いほど喜びが大きいんですよね。おそらく人間の中には閾値(しきいち)というものがあって、それを少し刺激すると、もっと上を目指したくなる。ある種の人間の欲なのかもしれません。

魅力はもう一つあります。それは人ですね。トレランって距離ごとにネットワークがあります。15、50、100km、それ以上。距離が増えるほど変わった人がいる気がします。もちろん、「変な人」って、トレラン界では褒め言葉です(笑)。そういう人に会って話をすると、世界が広がります。また、年齢というベクトルもあります。80代で走っているランナーがいるのですが、本当にすごいと思いますね。トップランナーもビギナーも関係なく、楽しさを共有している仲間なんです。

写真:Jess Barnard

走る距離、年齢とトレランにはいろんなステージがあるんですね。

写真:藤巻翔

そうなんです。僕には完走できていないレースが一つあります。それが「世界で一番過酷なウルトラマラソン」と言われている『バークレイ・マラソンズ』です。アメリカ・テネシー州のフローズンヘッド州立公園で毎年開催されているレースで、4度チャレンジしているんですけど完走できていません。

世界で一番過酷なウルトラマラソン「バークレイ・マラソンズ」

『バークレイ・マラソンズ』の発案者はウルトラランナーのゲイリー・カントレル、通称ラズ。かつてはすごいランナーだったけど、今では年は取ったし、たばこも吸うし、炭酸飲料もたくさん飲んでいるような人です(笑)。

その彼が言うんです。「僕は来月、東海岸から西海岸を歩く。若い僕なら6600kmなんて、たいした距離じゃない。だけど、間違いなく今までの中で一番過酷なチャレンジになるんだよ」と、大きく突き出たおなかを指さす。それを聞いた時、なんだかかっこよく思えました。同時に、年を取ることはマイナスじゃないと感じた。僕がこれからトレランを続けていく上で、50歳、60歳、70歳、80歳のチャレンジがやってくる。それは今から楽しみですね。続けるだけで、生きたレジェンドみたいな存在にもなれると思うし(笑)。

以前は「失敗」という言葉に対し、マイナスイメージを持っていました。しかし、『バークレイ・マラソンズ』を経験し、「失敗からは成功よりも刺激を受ける」と感じるようになりました。昨日も今日も明日も僕は走ります。靴ひもを縛る瞬間、次こそはと乗り越えたい気持ちが湧き上がる。これが僕の走る原点だと思います。輝かしい成績を思い出しながら靴ひもは結びませんね。

メインクエスト〜バークレーマラソンズに導かれし者たち〜予告編

さらに、井原さんは「生涯で100マイルを、100本完走」することを目標に掲げていますね。普段はどういうトレーニングをしているのですか?

1日1回は走っています。だけど、100本走るだけが目標ではなくて、結果も出したい。強度のある練習や長い距離も走ったりしています。100本走っても、101本目を走りに行っちゃうんじゃないかな(笑)。

トレランをしたい人にどのようなアドバイスをしますか?

まず外に出て軽く走ることです。はじめから長い距離を目指さなくていい。短い距離から始めてください。山は危険もあるので安全第一です。トレランを始める人と走るとしたら、楽しいコースに連れて行きたいですね。山の美しい風景や走る楽しさを知ってもらいたい。そして、おすすめは仲間と山に入ること。1人はあんまりおすすめしないですね。誰かと一緒に行くことによって、いろんなことを学べます。「あ、この人のギアかっこいいな。僕も欲しいな」なんて思ったり。この記事を読んで少しでも走りたいと思ったらぜひ、ランニングシューズを履いて外に出てください。家の扉を開いたらこっちのもんです。もう、その瞬間あなたもランナーですから。

写真:藤巻翔
井原さんと話をすると、不思議なことに「ランニングを始めようかな」という気持ちになりました。100マイルというと、走り慣れていない人には(いえ、走る人にとっても)とんでもない距離です。気の遠くなるような距離も一歩一歩の積み重ね。井原さんがお話しする通り、どんな長い距離も靴ひもを結び、家のドアを開けるところから始まります。記事を読んで「走りたい」と思ったら、ぜひ今日からランニングを始めてみてはいかがでしょうか。