SpecialVol.12

伊藤亜紗さんに聞く
自分の体はなぜ思い通りに
ならないのでしょうか

2021.12.20

もう少し痩せられたら、もう少し速く走れたら、もう少し、もう少し…誰もが自分が持って生まれた体に不満を抱いたり、思い通りにならなさに悩んだりしたことがあるだろう。いったいどうして、自分の体なのに思い通りにならないのだろう。10代のための本『きみの体は何者か ――なぜ思い通りにならないのか?』の著者である伊藤亜紗さんに、思い通りにならない体との付き合い方を聞いてみた。

そもそも体は思い通りにならない

●『きみの体は何者か ――なぜ思い通りにならないのか?』では、伊藤さんご自身の吃音が自分の体が思い通りにならない例として紹介されていますが、わたしの場合は、人と話している時に重要な固有名詞が出てこなくなることがあります。会話が終わると思い出せるのに、ちゃんと話さなければというプレッシャーがある時ほど出てこない。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

皆さん多かれ少なかれそういう経験はあると思います。なぜそういうことが起こるのかはよく分からないのですけれども、おそらく、思い通りになると思っている方が間違っているのではないかと思います。体はとても複雑ですよね。

例えば、天気の影響で体調が変化する方はたくさんいらっしゃいますが、中には、台風が発生する2日前にそれを体に感じるという方もいます。幻肢痛という、手足を切断した人や麻痺して動かない人がもとの手足をまだ存在するかのように痛みとして感じる症状がありますが、その方の場合は、台風が発生する2日前に幻肢痛が起きるそうです。フィリピン沖で発生した台風を日本で感じるのです。つまり、体は地球規模の影響に巻き込まれているので、思い通りになるわけがないですよね。

体はとても複雑な、さまざまな要素の影響を受けているし、そもそも自分が意識できている範囲は、体全体がやっていることからしたらごくわずかです。例えば歩く時に関節を何度曲げてとか、何センチメートル足を上に上げてとか、そういうことをいちいち考えなくても歩けますよね。体が勝手にやっているのです。もちろんそれは経験や習慣の産物なわけですけれども、体が複雑なことをやっている上に意識が乗っているという関係なので、そもそも思い通りにならないという前提から入った方が実態にも合っているし、気が楽になると思います。

自分らしい体は自分しかつくれない

●とはいえ、思い通りにならない体となんとか折り合いをつけていかなければならないですよね。本の冒頭で、思い通りにならない自分の体と向き合うために、「まず自分の体の声を聞く」ことから始めると書かれていますが、体とコミュニケーションをとりながら、それぞれが自分で工夫していくしかないということなのでしょうか。

自分の体の声を聞きながら、工夫して、体との付き合い方を発見していくことで、自分らしい体がつくられていきます。もちろん同じような症状について誰かと情報交換することはできますし、対処法を教えてもらうこともできますが、最終的にどのやり方が自分にとっての正解なのかは、一人ひとりの体が違うし、その人なりの工夫のポイントがあるので、自分の体を通してしかつくれません。実はそれこそが一番面白いところだと思っています。

この工夫や方法をどこから持ってくるかというのは人それぞれで、その人しかできないものなので、他人に教えたとしても汎用性はないのです。そして、その人なりに工夫した部分がその人の体を通したアイデンティティーになっているわけです。工夫しなきゃいけないというと、つらいことみたいですけれども、実際つらい部分ももちろんありますが、でも、工夫するということが、とても面白いことだと思います。

苦労して発見したことが、何か自分でも想像しなかったような体の正解になる。病気が治るというと、正解はひとつだけと思いがちですが、実際はそう単純な話ではなく、みんなにとっての共通の解があるわけではないのです。自分にとってはこれが解だということを発見し、しかも、それがどんどん変化していく。それを探り続けていくことが体と付き合うことなのではないかと考えています。

答えは外側にある

●思い通りにならない自分の体を好きになるためのヒントや秘訣はありますか。

難しいですね。でも結果的に他人を信頼することなのではないかと思います。自分の体が好きになれないのは、社会的な要因が大きいからです。こんな体じゃ社会でやっていけない、人から好きになってもらえない、恥ずかしいという感覚。若い頃は特に恥ずかしいから好きになれないことが多いと思いますが、他人は自分の体のことを全然違うふうに見ているものです。例えば、吃音の人は、「全然しゃべれない、つらい」と思っているけれども、周りの人は案外気にしていなかったりするし、吃音の人が苦労しながらしゃべっている方が、むしろ何か大事なことを言っているんじゃないか、と真剣に受け止めることもあります。

自分がネガティブに捉えている体を、別の人は全く違うふうに見ていて、恥ずかしいと思っていることは自分の中の問題であることも多いのではないでしょうか。実際、自分がこうしたいと思っていることよりも、もっと多くの情報を体が相手に伝えているわけです。他人はそれをキャッチしてくれていると信じることが、結果的に自分の体を好きになることなのではないかと思います。つまり、周りの人を信頼することで、自分の体も信頼できるようになるのです。

裏返すと、自分の社会的な見え方はコントロールすることができない、ということでもあります。この本もですが、体の声に耳を澄ますということが書いてあるので、自分の内側の世界を探求していこうと思われるかもしれませんが、案外答えは外側にあることが多いのではないかと思います。もちろん内側を探求するのだけれども、同時に自分が探求できる範囲なんて狭いと思っておいた方が楽になるのではないかと思います。

自分はAでありたいと思っていたのに、うまくいかなくてBになった場合、自分は失敗したと思うけれども、周りの人は最初のAを知らないから、Bのいいところを分かってくれます。だから、Aを目指していたけれどBになったことは、社会的には実は失敗でも何でもないかもしれません。自分にAを課すことをやめなくてもいいと思いますが、Aとの比較で自分を見ていくだけではない視点を持ってもいいのではないかと思います。

それと、そもそも自分のこうありたいという欲望がどこから来ているかということを考えてみるといいですね。その欲望自体が自分のものではない可能性もあります。その呪縛を1回解くということも、同時に大事な作業だと思います。

子どもだった頃の自分のための読書体験

●伊藤さんは美学者でありながら、ご自身の吃音について考察された『どもる体』や、障害がある人のエピソードをもとに体に蓄積する記憶と知恵を考察した『記憶する体』など、体に対する興味、研究が多いように感じます。美学がご専門の伊藤さんが、体にこだわるのはなぜなのでしょうか。

確かにわたしは美学研究者があまりやらないことをやっています。でも、美学が本来扱おうとしていたのは「言葉にできないものを、言葉を使って分析する」ことだったので、本当はテキストの中にないことを分析しないといけない、研究手法がテキスト分析だけではリアリティーがないと思っています。実感に即して考えるべき問題が山のようにあるので、その問題のために研究者としての時間を使いたいと考えています。

●この本は10代に向けたシリーズの本ですが、大人にとっても自分の体と向き合うきっかけとなる重要なことが書かれています。この本を執筆されようと思ったきっかけを教えてください。

10代はまだ自分が出来上がっていないので、アイデンティティーの不安がとても大きい時期だと思います。さらに、体が大きく変化する時でもあり、自分のアイデンティティーの不安定さが体を否定する方向に行きがちです。自分はどうしてこういう顔なんだろうとか、どうしてもっと速く走れないんだろうといった、体に対する思い通りにならなさと自分という問題が、よくも悪くも密接に関わってくる、人生の中でひとつの大事な時期だと思います。その世代の人たちに、いや、そもそも思い通りにならなくてもいいですよ、ということを伝えたかったのです。

教育の現場では、いい点数を取らなきゃとか、これができないと駄目、みたいな、うまくやることに対するプレッシャーが非常に強いと思いますが、そうじゃない面白さもあるよ、という別の視点があれば逃げ道ができるはずです。10代の人たちに、別の視点を持ってもらえる本でありたいと思いました。

子どもの頃はどうしても基準がひとつしかない世界に閉じ込められることが多いのですけれども、そんな単純な話ではないわけです。例えば、視覚障害で目が見えないことは負けでも何でもないことが大人になれば分かりますし、みんながかわいそうと思っているわけでもないので、価値観や視点は多様だということもこの本で伝えたかったことです。ひとつの基準じゃない見方で見た方がいろいろなものがキャッチできるし、そっちの方が楽しいじゃない、ということです。

●10代の頃は経験もないし、勉強も途中なので、自分が持って生まれた体や顔が判断基準になりがちですね。この本は今悩んでいる若い人たちにぜひ読んでもらいたいと思うと同時に、自分が10代の悩める年頃だった時にこの本に出合えていたらよかったのに、と思いました。

大人の方にもぜひ読んでいただきたいです。わたし自身、子どもの時の自分に向けて書いていましたから、タイムトラベルしながら書き、タイムトラベルしながら読むみたいな、執筆体験としても読書体験としても新鮮な体験でした。

執筆中に編集者に原稿を送ると、編集者からの感想がもう完全に中学生になっていて、「僕の中の中2が泣いています」みたいな(笑)。悩んでいた頃のことを思い出しながら読むことで、何かが癒やされることがあるのだと思います。それは裏返すと、誰もが10代の時の悩みや思いを抱えたまま大人になっていて、それが何十年後かに本を読んだことで成仏する、そういう読書体験の可能性があり得るのだなと、この本を書いてみて実感しました。大人の方にも、子どもの時の自分のために読んでいただきたいと思います。

PROFILE

伊藤 亜紗(Asa Ito)
東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。リベラルアーツ研究教育院教授。東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学コース教授。 専門は、美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次に文転。障害を通して、人間の身体のあり方を研究している。2010年に東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究美学芸術学専門分野を単位取得の上、退学。同年、同大学にて博士号を取得(文学)。学術振興会特別研究員を経て、2013年に東京工業大学リベラルアーツセンター准教授に着任。2016年4月より現職。主な著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社、2013年)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社、2015年)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社、2016年)、『どもる体』(医学書院、2018年)、『記憶する体』(春秋社、2019年)、『手の倫理』(講談社、2020年)。WIRED Audi INNOVATION AWARD 2017、第13回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞(2020)、第42回サントリー学芸賞受賞。
http://asaito.com/


きみの体は何者か ――なぜ思い通りにならないのか? (ちくまQブックス) 筑摩書房


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