PeopleVol.8

順位に執着しない山岳レースの楽しみ方

People Vol.8 消防士・山岳ランナー 望月 将悟さん

日本一過酷といわれる山岳レースがあります。日本海の富山湾から太平洋の駿河湾まで、約415kmを駆け抜ける『トランスジャパンアルプスレース(TJAR)』です。一般の登山者が3週間かかると言われる道のりを、選手たちは制限時間の8日間以内に走り切ります。その過酷なレースを過去4回制し、現在もさまざまな挑戦を続ける望月将悟さんにお話をうかがいました。

People

望月 将悟(モチヅキ ショウゴ)
消防士、山岳ランナー。1977年静岡市生まれ。19歳で静岡市消防局に入局し、20歳から登山を始める。その後、トレイルレースに出場するようになり頭角を表す。2010年からTJARに参加し4連覇を果たす。2017年には古い記録をもとに全長235kmの静岡市境を1周するチャレンジ『AROUND SHIZUOKA ZERO』を単独で行った。また2015年の東京マラソンでは40ポンド(約18kg)の荷物を背負ってのフルマラソンのギネス記録を更新した。

今は高い山には行かずに低い山を走る

山を駆けるトレイルランニング。ウェアや装備の機能がアップしたことで、トレイルランナーたちは一昔前では考えられないような軽装で山に入ります。この身軽さが日本の登山シーンに大きな影響を与えました。先述したTJARのルートを「通常の登山スタイル」で踏破しようとすると数週間かかりますが、選手たちは1週間以内で駆け抜けていくのです。望月将悟さんの名を世に轟かせたのがこのTJARでした。

●望月さんは、普段は静岡市消防局に勤務する消防士であり、山岳救助隊員でもあります。今回の取材も24時間の勤務明けに対応していただきました。命を守るハードな勤務の中、普段はどのようなトレーニングをしているのですか?

消防士の仕事が終わったら、その足で家の周りの山へ走りに行きます。1回の勤務は24時間。仮眠時間はありますが、交代で起きています。それに、いつ災害が起こるか分からないので、気持ちは常に備えています。ですから勤務後に走ることがリセットになるんですよ。

消防士は体力もないとできない仕事です。そういった面でも常に体を動かしておきたい。それに僕たち山岳救助隊の仕事は、山のルートを覚える必要があります。山で事故があればすぐに救助に行かなくてはいけませんから。新型コロナ前までは高い山での山岳事故対策に目が行きがちでした。しかし、実際には身近な標高の低い山でも事故は起こります。新型コロナをきっかけに周りの手軽に行ける山を知ることができたように思います。

●望月さんのような山岳救助隊員が自主的に山に入り、地形やルートを知っていると、登山者も安心して入山することができます。遭難や事故の連絡が来た際には、「あの辺だな」というのは分かるものなのですか?

ええ。大体分かりますね。どの登山口から入ったか、途中に見えた物などの情報から絞っていきます。ですから、普段から山に入り、道や地形を隅々まで知っておきたいですね。もちろん、僕だけでなく他の隊員たちも日常的に山に入っています。そうじゃないと、救助はできませんから。

●今はトレーニングで高い山には入っていない?

コロナ禍でアルプスのような3000m近い高い山には行けない。山岳救助隊は「注意をしてください」と言う側ですから、僕が怪我をするわけにはいけない。今は近くの低い山で、できることを全力でやっている。結構ポジティブな人間だと思います。コロナが収まってから、高い山に行けばいいわけですからね。

僕は走ることはそれほど好きではない

●勤務後のトレーニングはどのような内容ですか?

仕事が終わって山の中を1時間から90分ぐらい走ります。距離にすると10~15kmぐらいかな。まずは苦しくなるまで走ります。とりあえず苦しくなりたいんです(笑)。1回、自分を追い込んでピークを迎えるまでは頑張って走りますね。

周りの仲間や選手たちの話を聞くと、すごく走るんですよね。練習でフルマラソンの距離を走ったとか……。なんでそんなにできるのかな~? みんな、すごいですよね。実を言うと、僕は練習ってあまり好きじゃないんです。「望月さんは走ることが好きなんですよね」とかって言われるけれどそうじゃない(笑)。

(TJARなどで)長く走ると、自分の体の体験や現象を知ることができる。自分自身を探ることは好きなんです。あと、「あの山に行くためにはここを通らなくちゃならない」ということなら長い距離も走りますけど、同じコースを往復するのとかは嫌なんですよ。ピストンするくらいなら遠回りでもぐるっと回るコース取りをします。それで長い距離になるのはいいけれど、「練習で何十キロ走ろう」というのは、僕はちょっと走れません(笑)。

●消防士の現場は若い隊員も多いと思います。一緒にトレーニングをすることもあるのですか?

僕はいま副隊長をやっています。消防には若い隊員たちがどんどん入ってきます。「俺もいつまでも若くはない」とは思うんですけど、やっぱり部下には負けたくない気持ちもある。一緒にトレーニングをしますし、若い隊員たちも僕に挑んできます。僕は絶対に負けたくない。後輩は僕を負かしたとき、どれだけ鼻が高くなるか分からないですから(笑)。

自分ひとりでトレーニングをしていると、どうしたって限界をつくってしまいます。だけど、周りに元気な若手がいるので、やらなきゃならない気持ちになりますね。反対に彼らに鍛えてもらっています。

僕も若い頃は先輩に負けたくない、追い付きたい、追い抜きたいという気持ちがありました。今はその立場がひっくり返っているんですよね。目標にされ、追われる立場は意外とおもしろい。そこに何かうれしさを感じています。

レースに挑むと大きなパワーが湧いてくる

●TJARでは大会4連覇をし、2018年のレースでは無補給という独自ルールを課してレースに挑みました。山小屋などで食糧補給する他の選手たちより、結果的に10kg以上重い荷物を担いでの挑戦となりましたね。

初出場のTJAR(2010年)は優勝がしたいという目標がありました(5日5時間22分で優勝)。次(2012年)は2連覇したいという気持ちで走った(5日6時間24分)。3回目(2014年)は5日切りの記録を狙いましたがかなわず(5日12時間57分)、4回目(2016年)で5日切りの記録が出た(4日23時間52分)。すると、目標を達成することができてしまい、やり切った感があったんです。ですが、TJARにはどうしても惹かれる。レースから得るものが自分の中では大きなウエイトを占めていて、パワーが出てくるんです。

●レースに出るためのモチベーションがいると。

TJARは北アルプスから中央アルプス、そして南アルプスを踏破します。その距離は415km。長大過ぎて目標がないとレースを走り切れない。そこで、2018年はレース中、誰からのサポートも受けずに無補給で走ることを思いつきました。TJARはルール上、山小屋で食料を調達したり、ロード区間では商店に寄ったりすることもできます。(誰からのサポートも受けず、自分のお金で購入するのは可)。それを一切受けないようにしようと。だけど、これは特別なことではなくて、登山の原点では無補給は普通のこと。昔の整備されていない登山道を歩いたり、小屋に頼らないような登山ってどんな感じなんだろうと思い、無補給でTJARに参戦しました。

●無補給でもTJARの優勝は狙いましたか?

それは難しいと思った。ですが、最初から優勝を諦めていたわけではない。隙さえあれば優勝もしたいという気持ちはありました。が、実際に走ってみるととにかく荷物が重い。「ああ、これは次元が違うな」と思って、すぐに目標を切り替えました。まずは完走しようと。

僕はうどんが好きなんです。即席麺はカロリーがあるからいいと思って、たくさん持って行った。けれど、レースを終えて1年くらいしてから「俺、ほとんど炭水化物だけでやったのか……」と気がついた(笑)。基本的には「カロリー」と「好きか嫌いか」だけで食料を決めたんです。次のチャレンジができるなら、そこを改善しようと思っています。

●栄養学的なアプローチはあまり考えない?

以前はプロテインやアミノ酸を摂取したりしたんですけれども、今は自分の欲するものを食べています。それで結構強くなってきた気がしています。もちろん、大会によってジェル状の栄養食で繋ぐことはあります。ですが、最近はおにぎりを持っていき、補給も楽しみにしています。

補給は自分の勘や感覚を大切にしたいんです。単純に「これを食べたい」とか、「ここに行きたい」とか、そういう気持ちを大切にしたい。食べたいものを食べる方が力は湧くし、行きたい所の方がいい練習ができる。これは嫌だなと思うと、気持ちが乗ってこない。その結果、怪我をして「あんな気持ちだったからな……」と思っちゃうのも嫌なんです。食べたいもの、行きたい場所、見たい景色を優先したい。そんな気持ちの方が、新しい発見がある。そっちの方が気持ちよく走れます。きれいな景色を見たら「これ、みんなに見せたいなあ」って思うし。

景色が美しく「レースなんかいいか」
と思うことも

●景色という言葉が登場して意外に感じました。厳しいレース中に景色を楽しむ余裕があるのですね。

もちろんですよ(笑)。美しい風景に出合ったら、「またゆっくり登りに来たいな」って思う。きれい過ぎて「レースなんかもういいか」と思うこともあります。そういう景色に触れると、誰かに教えてあげたいと思います。コロナ禍前は中学生に講演会で話すこともあったんですよね。ですが、本当は話すより一緒に行きたい。山に行き、いろんなものに気づける人って、すごくいいんじゃないかな。早く、一緒に山に行けるようになればいいですね。

山は人間の大切なところを気づかせてくれる

レースというと一分一秒を争う競技のように感じます。もちろんトレイルランニングもレースでは順位を争います。しかし、怪我をしている選手を気遣ったり、食料を分け合ったりすることもあるそうです。レースといえども、やはり共に山を愛する仲間なのです。

●トレランのレースは競い合いだけとは違う、フェアプレイの原点のような要素がありますね。

そうあり続けてほしいと願います。ただ、競技人口が増えるとそうじゃない人も増えてきますね。相手や自然を思いやる気持ちは大切にしたい。マラソン競技と違うのが道幅です。山岳レースの時、当然他の登山者もいる。だから勝負より、それ以上にもっと大切なことがある。道を譲る、大変そうな人がいたら声を掛けてあげる。レース以前に、人としてどうすべきかを考えることが大切じゃないかな。そういうことをレースから学んでほしい。もちろん、僕もレース中でも山で困っている人がいたら助けたいと思います。

……僕がそれを強く思ったのは、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)に出たときのことです。転んでしまった選手がいたんですが、外国人選手たちがさっと駆け寄って、立ち上がらせて大丈夫かと確認していました。だけど、その横を日本人選手たちが大勢走り過ぎていったんですね。僕もああいう優しさを持たなければと、あの光景を見て思いました。たしかに山のレースは本当に大変です。きついんです。だからこそ、しんどい時に声を掛けられると元気が出ますし、一緒に走ってくれると安心します。山のレースは、人間の大切なところを気づかせてくれる場所ではないかと思っています。

あらためて静岡県の多様性に気がついた

望月さんの住む静岡県といえば、多くの人が富士山を思い浮かべるでしょう。しかし、望月さんは静岡県には他にも素晴らしい山が多いと言います。2017年7月、望月さんは静岡市の市境のトレイル約235kmを一気に走破する実験的な旅「AROUND SHIZUOKA ZERO(ASZ)」にチャレンジしました。市境といえども、3000、2000m峰がいくつも登場する累計標高差2万8000mの旅です。望月さんはなぜ、ASZに挑戦したのでしょうか。

●たしかに地図で確認すると静岡市境は山で囲まれ、大自然が広がっていますね。

ええ。日本第3位の高峰・間ノ岳も控えています。このASZのコース内が僕の職場の管轄範囲です。4日間と20時間ずっと山にいたのですが、GPSデータなどは取りませんでした。はじめにデータを取ったら、次はやらないだろうと思ったんですよ。だから、1回目は「ZERO」ということにして、次にデータを取る。僕は何かチャレンジがないとやらない(笑)。「ZERO」が「1」になり、いつかレースが開催できたらなと思いますね。TJARは舗装道路区間が200kmくらいあるんですけど、ASZはほとんどが山道。だから、おもしろい山岳レースができそうなんです。

●レースでなくてもロングトレイルとして歩くことができますね。

今、静岡の山にすごく可能性を感じています。ASZは登山道もあるし、尾根沿いに歩けるので普通の脚力の人でも行けます。それに危険な箇所が少ないんです。実際に歩いて、その可能性と安全性が証明されました。

僕は新型コロナの流行前まで海外のレースへの憧れが強くありました。見たことのないものを見たい。行ったことのない場所に身を置きたいと。ですが、地元の静岡でもそれが可能だった。あらためて、静岡県の持つ自然の多様性に気がつきました。身近な場所に目を向けていると、新しい発見がありますね。

●コロナ禍の今、世界中が内向きになっている時代だと言われます。望月さんは前向きに物事を考えるとおっしゃっていましたが、あらためて今の状況をどうご覧になっていますか?

いろいろな面で、僕はマイナスじゃないと思う。高い山よりも近い山を見られるようになったし、今まで目を向けていなかったところに、目を向けられるようになった。昨年(2020年)、TJARは中止になりました。だけど、レースがなかったことで、焦っていた気持ちを抑えられた。それに、休息ができたことも大きい。長いレースは体へのダメージは大きいんです。TJARは2年ごとの開催ですが、実のところ最近の僕の体は2年じゃ回復しない。疲れが体の芯に残ってくる。

もう、上位入賞や記録へのチャレンジという気持ちは薄れてきている。「逃げ」と言われるかもしれないけれど、順位ばかりに執着しない楽しみ方を感じている。身近な山へのおもしろさも気づけた。この気づきは、これからの自分の人生の楽しみが広がる気がする。……順位ばかり追い求めていたら体も精神も疲れます。それに、どんどん若い選手たちも追ってきますしね。もう、負けじとがむしゃらに踏ん張ってはいない。むしろ、若手の勢いや力を自分の刺激に与えていけたらいいんじゃないか。僕は今そんなことを思っています。

取材中、望月さんは街行く人やハイカーに何度も声を掛けられていました。その度に、丁寧に受け答えをしていたのが印象的でした。大記録を持つアスリートはストイックで寡黙。そんなイメージとはかけ離れている優しい鉄人・望月さん。「みんなに自然を好きになってもらいたい。自然から多くを学び、安全に楽しんでほしい」。望月さんの笑顔からヘルシアプレイスへの思いが伝わってきました。

取材協力:イトウマサヒロ(Salmon Design)

Follow us!

PICK UP!