荒木香織さんに聞く
メンタルは鍛えられますか?

文・山本敦子イラスト・たかはしけいこ
Special
2021.04.28

新年度がスタートする4月、就職や異動、入学などで環境が変わる人も多い時期。心機一転、ジムでトレーニングを始めたという人もいるだろう。しかし、いざ始めてみたものの、なかなか思うように結果が出なかったり、モチベーションを維持することが難しかったりと悩んでいる人も多いのではないだろうか。スポーツにおける人間の心理について科学的に解明し、コンサルテーションを行っている荒木香織さんに、心と体の関係について話を聞いた。

荒木香織さんは、2012年から2015年までラグビー日本代表のメンタルコーチを務め、ラグビーワールドカップ2015での日本代表チームの大躍進に貢献した。“歴史を変えた”と言っても過言ではない南アフリカ戦の逆転勝利は、今も多くの人の記憶に鮮明に残っているだろう。それまで、ワールドカップではほとんど勝てなかった日本代表チームが、世界の強豪チームを相手に互角に戦えるようになったのはなぜなのか。監督であったエディー・ジョーンズヘッドコーチの力はもちろん大きかっただろう。しかし当時、それにも増して、荒木さんの仕事に大きな注目が集まった。五郎丸歩選手の「プレ・パフォーマンス・ルーティン」は、小さな子どもたちまでが真似するほど、日本中でブームとなったが、その誕生の背景に荒木さんのコンサルテーションがあったからである。

「プレ・パフォーマンス・ルーティン」はパフォーマンスへの準備のためのスキルで、メンタルを安定させる効果があるとされている。五郎丸選手のルーティンが注目されることによって、スポーツと心の関係の重要性が広く知られるようになった。荒木さんは現在、スポーツ選手だけでなく、組織のリーダーや舞台でパフォーマンスをするアーティストなど、さまざまな人にパフォーマンス向上のためのコンサルテーションを提供している。

そもそも心と体はどのように関係しているのだろうか。荒木さんの著書のタイトルにもある「心の鍛え方」とはどんな方法なのか、「メンタルを鍛える」とはどういうことなのだろうか。

「メンタルを鍛える」とはどういうことですか?

心やメンタルは見えにくいものですが、思考力とか判断力のことだと考えてください。調整力と言ってもいいかもしれません。いい考え方ができて、いい捉え方ができて、いい判断ができて、うまく調整できれば、結果としていいパフォーマンスにつながっていきます。つまり「メンタルを鍛える」ということは、「思考のプロセスを自分でコントロールする」ということです。

たとえばスポーツ選手の指導の現場で、選手に対して“何も考えるな、ただやれ”というような指導では、不安が生まれるし、うまくいかなかった時に選手はどうしたらいいのか分からなくなってしまいます。何も考えずにとにかくやる、というような繰り返しの練習だけではどうしても補いきれないものがたくさんあるのです。メンタルのトレーニングは“鍛える”という言い方はしますけど、物事を認知して、自分で考えて判断をし、自分が腑に落ちる落としどころを見つけて体を動かす、という作業ができるスキルを身につける訓練です。つまり、思考のプロセスをつくり上げる作業がメンタルのトレーニングということになります。

「思考のプロセス」は
どうやってつくったらいいですか?

体を鍛える時のことを考えてください。どこをどうやって鍛えるかを知らないと体は大きくなりません。例えば、ベンチプレスであれスクワットであれ、大胸筋や僧帽筋、大臀筋がどこにあるかを理解し、そこを鍛えていると意識しているから筋肉が発達してくるわけです。何も考えずにエクササイズしても筋肉は大きくなりません。

同じように、速く走るためにはどうしたらいいかを考えて走れば速くなりますが、ただ走れと言われてモルモットみたいに走り続けても速くはならない。だから、スポーツ選手やパフォーマンスをする人にとって、「心を鍛える」というのは認知力であり、物事を捉える力であり、捉えた上で、これはどういうことなのかを自分の中で消化していく力、消化力です。そして、それらの情報を題材に、今だったらどの選択が一番いいのか判断する力です。判断をしたら実行する。ミスをしたらミスをしたなと認知し、どうすれば修正できるか思考し、こうやったら大丈夫かなと調整して実行する。うまくいかなければ修正してまた遂行していく、というサイクルを繰り返します。これが思考のプロセスです。

「思考のプロセス」をつくるためには、自分にとって一番良い準備の仕方、パフォーマンスの遂行の仕方、コミュニケーションのとり方は何だろうということを、常に考え、確認しながら実行していく必要があります。

心を鍛えたら「ストレスに強くなる」のでしょうか?

ある事象が「ストレス」となるかどうかは自分の受け止め方次第です。自分がストレスと捉えるとストレスになる。それをまず変えていけばいいのです。大変な状況に直面したとしても、今自分は挑戦しているのだ、と捉えればストレスではなくなります。例えば、誰かにひどいことを言われてストレスだと感じたら、どうしてこの人はこういう言い方を選ぶのだろう、すごく期待してくれているのかもしれない、もしくは彼こそがストレスを抱えているから発散したいのかもしれない、と相手の気持ちになって考えてみる。共感力を鍛えるのです。どうしたんですか?なぜそんな言い方しかできないんですか?と相手の心情をたずねてみてもいいでしょう。そうしたら、まあ、許してあげよう、という気持ちになります。

だから、メンタルを鍛えることは、ストレス耐性がつくというよりは、何かが起こったときや不安に陥ったときに対処できるスキルを身につけることです。道具を持つような感覚です。たくさん道具を持っていれば、何が起こっても対処できます。漠然とした不安を感じたときは、自分が何に脅威を感じているのかを分析し、それをストレスと受け止めるのではなく、挑戦と受け止めれば、成長するきっかけになります。

モチベーションを保ち続ける秘訣はありますか?

モチベーションをなぜ適切に維持、継続できないかというと、そもそも自分の中に大義がないからです。例えば、就職を例にとってみましょう。大学を卒業したら就職するものだからとか、みんな就職するからと、とりあえず就職してしまうと、自分の中に満足感や達成感、充実感、期待感がないので、仕事に対するモチベーションを継続できないのです。だから、こんなはずじゃなかったとか、こんな仕事はもう辞めたいとか、不満ばかり言って簡単に辞めてしまう。そもそも、なぜその仕事をしようと思ったのかを確かめることができれば、仕事を辞めるという選択肢にはならないかもしれません。

自分の中の大義というのは、目的とか目標ではなく、人生でのやりがいと言った方がいいかもしれません。就職だったら、今までの経験や教育をもって、自分はこの会社にどのように貢献できるだろうか、給料という対価をもらうに値する貢献ができるかどうか、ということです。こんなはずじゃなかったのであれば、本当は何がしたかったのか、こんなのは嫌だというのなら、どんなことが好きなのか、もう一度考え直してみてください。つまり、モチベーションを維持、継続していくためには、内発的なものがないと難しいと思います。

ダイエットも同様です。何のために痩せたいのか、魅力的な体を誰かに見せるためなのだとすると、あまり内発的とは言えないかもしれません。一方で、自分の健康のために続ける、健康な状態を維持して、人生の最期の日まで自分の二本の足で立ってお手洗いに行けるように今から鍛えておきたい、ちょっと大げさですが、それは内発的なモチベーションです。もちろん、スタイルが良くなりたいと思ってもいいのです。でもそれは彼氏とか彼女のためではなくて、まずは自分自身の人生のためだと思えないと続かないでしょう。

フィットネスを継続するためには
どうしたらいいでしょう?

フィットネスで大切なことは、体を動かした後に、気持ちよかった、すっきりしたなという感覚を無視しないことです。やっと終わった、もう早く寝たいと考えて終わるのではなく、充実感や満足感、リフレッシュできたなという感覚を、ロッカーでもシャワーを浴びている時でもいいので、自分で確認してみてください。疲れを心地いいと感じる癖を付けることが大切です。

疲れをただ疲れと捉えるのではなく、心地よい疲れがあるからこそ、体が絞れているんだなとか、気分がリフレッシュできたなと感じることができます。そうすれば、明日もまた頑張ろうと思えて、良い終わり方ができます。良い終了の仕方というのは、力を全て出し切って終わるのではなくて、心地いいな、よく頑張ったなと思える段階で終わることです。これも心を鍛えるトレーニングであり、スキルのひとつです。

例えば、この重さで3セットやると決めて、途中でしんどくて諦めるのは決してダメなことではありません。高過ぎる目標を掲げてしまうと、達成できなくてストレスを感じる人の方が多いと思います。できることの繰り返しでも全く問題ありませんが、ちょっと頑張ればできる内容をクリアしていく方が楽しいと思うので、少しずつ頑張って、気付いてみればこんなにできていた、という方が現実的だと思います。

ダイエットでも、3カ月で10キロ痩せるという目標はそもそも無理なので、自分にとって適切な目標を掲げることが大切です。クリアできなかったとしても、そこで自分をダメだと思うのではなく、目標を少し変更してアジャストすることもスキルのひとつです。30代の女性はこんな体つきであるべき、というのは幻想です。そんなわけないですよね。人それぞれ、体格も体質も違うので、今までどのくらいの体重で、この体つきだと3カ月後に、どのぐらいの減量なら可能なのかをしっかり見極めて、そこを目指していけばいいのです。

適切な目標を掲げるためには、自分の今の体の状態や、体力をある程度客観的に把握した上で、目標を設定することが必要です。それが、思考力と判断力です。よく考えて、判断して、これが適切だと思えるかどうか。分からないことは詳しい人に聞いて、自分が知識を得て、納得する。そして、何のためにそれをするのか、それがモチベーションです。彼氏に痩せろと言われたからだと、彼氏と別れたら終了です。自分が心地いいとか、自分が楽しいことが一番重要です。

体と心の健康を保つ上で、
大切なことはなんですか?

人それぞれだと思いますが、欲のない人生を生きることが、心の安定につながるのかもしれません。欲があり過ぎると心が不安定になる。お金が欲しい、いい体が欲しい、いいパートナーが欲しいとなり過ぎると深刻です。これも自分を客観的に把握していないと身の丈に合わない欲望を抱いてしまう。だから、大切なことは何かと聞かれると、先ほどのモチベーションの話からは遠ざかってしまうかもしれませんが、極めて欲のない、バランスのいい状態を見つけていくことと、点ではなく、長い目で見ていくことです。それぞれの出来事を点で見たときにはストレスだったり、挫折だったりしたとしても、人生の中ではどうなんだろうと考えてみるといいでしょう。

結論としては、体も心も、自分のことについてもう少し知ることが大切だということです。自分は何が好きで、何が得意で、どんな持ち味があってということを、日々確認して自分自身を知る。体についても同様です。自分がどんな体つきなのか、今日の体調や、体重、体脂肪は何パーセントだろうということを、感覚を研ぎ澄ませて把握しておく。自分の体のことを知らない人が多すぎます。だから、まず自分自身を知る、ということが大切になってきます。

人生を豊かにするにはどうすればいいでしょう?

自分自身を知る、という意味では、フィットネスを続けると体の変化も分かりやすいし、どういう状況、状態が、一番自分にとって心地いいかということも分かるようになると思います。自分の体を知る、体調を知る、コンディションを知っていくと、人生は豊かになります。

豊かさというのは、お金はもちろん多少必要ですが、自分自身に向き合える空間を持つことだと思います。体を動かすフィットネスジムは、自分自身を客観的に見ることができるし、体をいいコンディションに整えることもできるし、体を動かしながら思考の整理をすることもできます。そうすることで、心の安寧にもつながってきます。

そして周りの人との関係性を考えること。やはりひとりではできないことも多いので、このことで困ったらこの人に聞いてみようとか、立ち止まったときにはこの人が助けてくれるとか、こういう状態になったときはここに行けばサポートしてもらえるとか、自分を支えてくれるネットワークは必要です。自分自身を知れば知るほど、何が必要なのかも分かってきます。自分のことを知らなかったらどんな助けが必要なのかも分かりませんから。

自分を知ることが、心を鍛えることに直結している。もちろん体を鍛えるためにも自分の体を知ることが必要だ。荒木さんが言う「欲のない人生」というのは、自分が到達できないようなものを目指したり、得られないものを欲したりすることで、心のバランスを崩すことを避けるためのスキルだろう。つまり、日常生活にわたしたちが取り入れられるメンタルスキルとは、「自分を知ること」だ。

普段はどうしても仕事を優先して自分のことは後回しになってしまうと話すと、「ダメですね」。荒木さんにきっぱりと言われた。「自分のことを最優先にしないとダメです。今のような世の中ではなおさら、自分にまず向き合い、自分を大切にしないと」。確かに、自分を大切にできない人は、他人も大切にできない。自分を知らない人が増えると生きづらい社会になりそうだ。そして自分に足りないものを理解して、できないことや足りない部分は人に頼るというスキルは、仕事のチームをつくる場合にも役立つだろうし、人生を豊かに生きるためにも必要だろう。

これまで「心を鍛える」とか、「メンタルが強い」という言葉から漠然と想像していたのは、「ストレスに強くなる」とか、「打たれ強くなる」という状態だった。しかし、「心を鍛える」とは、自分を客観的に知り、自分で考える力を養い、自分の思考を自分でコントロールするスキルを身につけるということなのだ。簡単にできそうではないが、まずはジムで自分の心と体に向き合うことから始めたい。

PROFILE

荒木 香織(Araki Kaori)
園田学園女子大学教授、順天堂大学スポーツ健康科学部 客員教授
株式会社CORAZON チーフコンサルタント
博士(Ph.D. スポーツ科学)

米国にてスポーツ科学(専門:スポーツ心理学)を学び、修士課程、博士課程を修了。主な研究分野は、スポーツにおける完全主義傾向、環境とレジリエンス、女性とスポーツ。教育、研究活動のほか、最新の科学的知見を基盤として、アスリート、指導者、アーティスト及びビジネスパーソンを対象にメンタルパフォーマンストレーニングのプログラム及びセミナー等を提供している。著書に、『リーダーシップを鍛える ラグビー日本代表「躍進」の原動力』(講談社)、『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』(講談社+α新書)。


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