『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』著者
伊藤洋志さんインタビュー

身の回りに、たくさんのイドコロを持っておく

SPECIAL
2021.06.29

『ナリワイをつくる』(東京書籍)で複数の仕事で生計を立てる生き方を提唱した伊藤洋志さん。現在は野良着メーカー『SAGYO』や物書き、モンゴルで遊牧民生活を体験するワークショップなどさまざまなナリワイを続けている。伊藤さんの最新刊は『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』(東京書籍)。新型コロナウイルスに翻弄され続けている今だからこそ、「思考の健康を保つための環境が必要」と伊藤さんは考える。著書の中で、忙しく負荷の多い現代社会の中でも、くつろげる時間を持ち、健やかな状態を保てる環境づくりについてまとめている。取材は伊藤さんのお気に入りのイドコロである東京都内某公園のベンチ。隣ではおばさんが歌の練習をし、遠くでは子どもたちが元気に遊んでいる。心が落ち着く場所で取材がはじまった。

人は簡単に壊れてしまう

●隣ではおばさんがアカペラで歌っています。ジブリの曲ですね……。それぞれが自由に過ごすことのできる良い公園ですね。木も大きくて木陰が涼しい。東京にもこんな木々の豊かな場所が残されているんですね。伊藤さんはよくここに来るのですか?

この公園があるから住んでいるんです。本当に大きな木が多くていい公園なんですよね。公園の存在を知って、いいなあと思っていたら、すぐ近くに貸家を見つけました。それでここに住むようになりました。今、小さな子どもがいるのですが、夜泣きをすると公園に散歩に来ます。すると、不思議とスッと眠ってしまうんです。散歩して帰る頃には子どもはすやすや寝ている。本当にこの公園に助けられています。この場所がなかったら、どうなっていたかなあ。ちょっと、わからんですね。

●都会に住んでいると人と人の付き合いが希薄になると言われています。一方で、農村部ではまだコミュニティは健在のように思います。都市部は「イドコロ」が少なく、農村部はまだ大丈夫ということでしょうか。

農村にはたくさんの業務があります。たとえば、田んぼもひとりじゃできないから、半強制的にでも協力せざるを得ない仕組みがある。それである種のコミュニティが残っていると思います。けれども、都会はみんなが好きなことをやる場所ですので、コミュニティはあまりないですよね。かつては会社が運動会をしたり、忘年会をしたりと、農村の町内会的な役目も兼務していたけれど、最近では無理があるからやめましょうとなってきている。じゃあ、その空いた穴をどう埋めるかが、各個人に問われている。

そんな時代に、個人は「場所」を持っておかないといけないと思うんです。イドコロがなければ、ふとしたときに、しんどくなってくるんじゃないかって。徳島大学の山本哲也准教授らのグループが新型コロナウイルス感染拡大による自粛生活下での心理的ストレスについて調査をしたところ、半数近くが精神的苦痛を感じ、2割近くは治療を要するうつ状態だったと推定されたんです。特に若年層は、心理的ストレスを感じた人の割合が高かったそうです。※1 資料参照

今の大学生は大変ですよね。コロナ禍で大学に行けない、サークルも入れない、仲間と集まれないだと、相当きつかったんじゃないでしょうか。孤独な環境を放置すると人間は容易に失調をきたします。イドコロ不足を甘く見てはいけません。たとえば陰謀論をもとにしたバッシングに便乗する行為は、認識の誤りが強化されて暴走した結果で、根本的にはイドコロ不足による孤独感が素地になっているように見えます。イドコロで、何か怪しいおかしなことを言えば、「それって本当?」って突っ込みが入りますよね。それで頭が冷える。ひとりでいると、そんな注意をしてくれる人もいない。

公園に通いすぎて破産する人はいない

●伊藤さんが提唱する「イドコロ」というのは、たとえば銭湯、図書館、喫茶店、河川敷や公園。共通するのは居場所をつくることで、心の平安を保つということですから、人によってはコンビニの駐車場だったり、パチンコ屋、スナックだったりする。イドコロもその人による。実に多様ですね。これを読んでいる人の中には、フィットネスジムがイドコロという人もいるかもしれません。伊藤さんが考える「いいイドコロ」というのはどういう状態の場所なのですか。

極端な例でいうと、パチンコ屋が精神の回復に効いているという人もいるので、生活を破壊しない範囲で楽しむのであれば、イドコロにしてもいいんじゃないでしょうか。アイドルも似ていますね。たとえばアイドルファンがいて、推しがいるだけで生きる希望が湧くという人もいると思います。そこそこお金を使う活動ですが、生活に支障をきたさない範囲ならイドコロになると思います。ですが、公園にはまって中毒になる人はいないから、こういう場所の安全性は高いですよね。公園に通い詰めて破綻することはない。

イドコロはいろいろな種類があった方がいいと思いますね。無料のイドコロ(公園、散歩道、図書館、河川敷、ベンチ、縁側など)、有料だけれども好きだから使うイドコロ(喫茶店、本屋、個人商店など)。だけど、無料のイドコロがたくさんあった方が絶対いいとは思います。全部が有料だったら、金銭面で圧迫されてしんどいですから。ですが、日本の場合は無料や安い値段のイドコロが少ない。最近は、さらに少なくなってきている気がしています。次々と個人商店、純喫茶、銭湯が廃業している。ああいう存在が減ってくることがいつか社会に効いてくると思います。この現象は不安ではありますね。

●個人商店や喫茶店も重要なイドコロなんですね。

ええ。マニュアル化されているチェーン店とは違い、個人商店は遊びの部分がつくれます。マニュアル化されていけばいくほど、イドコロ性は失われると思うんですね。お客さんの顔色を見て「大丈夫かな?」なんて考える必要がなくなっていくわけですから。まず、チェーン店では店員さんと雑談ができないですよね。マニュアル化すると人はマシン化していくように思います。

ただ、ちょっと変わってきたかなと思うこともあります。コンビニエンスストアが僕たちの暮らしに入ってきて数十年経ちました。なかには常連のいるコンビニもありますよね。そうすると、常連の人と店員が仲よさそうに話をしている。そういう無駄話ができるコンビニを、僕たちが「あれはいいコンビニだ」と、客として積極的に使って、陰ながら応援するのはいい活動だと思います。経営サイドの人たちが「なんでここが妙に売り上げが高いんだろう?」と分析して、イドコロ性の高い“気さくな店員のいるコンビニ”が増えてくれたらいいんですけどね。

あなたのイドコロを見つけて、
育てていく

●新しくイドコロを「つくる」と考えるとハードルが高いですが、既にある場所を応援することもイドコロづくりなのですね。

どうしてもこういう話は、「コミュニティスペースをつくろう」みたいな話になりがちです。すぐに建物のハード整備に走るのはよくない癖です。僕の言う「イドコロをつくる」とは、元気に正気を保てる環境をつくっておこうという話なんです。それに、コミュニティをわざわざ新しくつくるよりも、すでに身の回りに存在している場所に「イドコロ性」を見つけて、育てていく方が早い。

ですが、土地が広い地方だと、新しく居場所をつくることのハードルは低いかもしれません。北海道の北見市出身の友人がいるんですけれども、その地域は庭に『焼き肉小屋』を建てる文化があるそうなんです。友人のお父さんも庭に小屋を建てて、仲間を呼んで焼き肉をしたり、ひとりになって本を読んだりしていると聞きました。いいイドコロですよね。

そんなふうに、物理的なイドコロを確保したり、それがかなわなければ今ある所でイドコロを増やしていく。やがて、余裕が出てきたら独自につくったらいいのではないでしょうか。いきなりハードコースに進むのではなく、今自分ができることを考えて、イドコロをつくればいいと思います。

平安時代の人もイドコロを求めていた

●『焼き肉小屋』でひとり本を読むっていいイドコロですね。イドコロはコミュニケーションの「場」でもあるし、ひとりでいる場所でもあるのですね。

コミュニティというと、人が集まっておしゃべりをする居場所としてのイメージが強いのですが、別にその人が元気になれば何でもいいんです。それに、全員がコミュニケーションを常に求めているわけじゃないですよね。静かにしていたい人もいるわけです。

今の時代、SNSやメッセージツールなどコミュニケーション過剰な要素も多い。それを“抜く”時間がつくれる場所でもいい。サウナなんかもスマホを持ち込めないから、過剰なコミュニケーションツールを“抜く”イドコロと考えてもいいかもしれません。

都市化が始まった時点で、人間は過度なコミュニケーションを抜く工夫をいろいろ考案してきたと思います。古くは、鴨長明先生が。……平安時代の話は古すぎますかね。大丈夫ですか?(笑)。鴨長明先生は都から離れたところにあずまやを建て、ひとりで過ごしているんです。あれはうっとうしい貴族の社会から離れたかったのでしょう。

貴族社会って、滅茶苦茶面倒くさい面があったと思います。呪詛行為が横行していたので、呪いをかけられたら出かけられないとか、文官の人数が少ない割に中国王朝の仕組みを真似したのでやたら業務が多くて深夜労働も当たり前。高位の者が優遇され下位貴族は割りを食いやすい。出世争いも当然あったと思われます。※2 資料参照

平安時代に生きた鴨長明先生も、そんな貴族社会が嫌で、少し離れたところにひとりになれる場所を持っていたんじゃないかと。今も昔もそこは変わっていないように思います。

公園に王様なんていない。
公園では誰もが対等な関係

●今私たちがいる公園にいる人は、友だち同士で話をしたり、ひとりで本を読んだり、歌の練習をしたり。それぞれが自由に過ごしています。こういう場所をいくつか持っていると、しんどくなったときに心を落ち着かせたり、会社の帰りに一日を振り返ったり。いろんな使い方ができそうですね。

イドコロは人間関係にあまり序列がない空間がいいですね。この公園には王様がいるわけでもないし、子どもが遊んでも大人が遊んでも対等な立場です。子どもが遊んでいる場所に行って「大人に譲りなさい」なんて言う人はいない。イドコロはそういうヒエラルキー(ピラミッド型の階層組織)がない空間がいい。

趣味のサークルで俳句を詠む、公園や行きつけのお店でただ集うとか、たまたま近所でよく行く銭湯で顔を合わせる人みたいな関係でいい。そんな場所が理想的なイドコロだと思います。喫茶店や銭湯でたまに顔を合わせて雑談をしているけれど、名前は知らないみたいな。そういう場所をいくつか持っているだけで、精神的にずいぶん楽になると思いますよ。

今の日本社会はイドコロの数が減っていますね。何もしないでぼーっとしていると怒られることがあります。「そんな暇があったら何か有意義なことをやったら?」って。社会にそういう圧があるんじゃないかと思うんですね。

新型コロナの影響は続く。
柔軟な環境をつくっておきたい

●新型コロナウイルスはどういう病気かというのはみんな何となく分かってきて、ワクチンの接種率も上がっています。世の中は良くなっていくのでしょうか。

新型コロナに限らず、これからも私たちの社会ではさまざまなアクシデントが起きるでしょう。それに対して各自がある程度柔軟性を持ったイドコロを何種類か重層的に持っておいた方がいい。たしかに「公園」は有力なイドコロと言っても、それだけでは乗り越えられない問題はある。やはり、家族や親しい友人は大切です。逆に家族だけで乗り越えられない問題もあるでしょう。つまり、個々のイドコロのどれがいい、とかではなくて、さまざまな種類のイドコロを持っておくことが大事です。

近所の書道教室の門を叩く、公民館で活動している団体の一覧を見る、消防団に入る、運動場や体育館を貸し切って遊ぶ会を開く、ZINEをつくって配布する、映画を見る会を開く、銭湯に通う、ゆっくりできるお店を近所に探す、気に入った散歩コースを探す、縁側をつくる。

いろんな形のイドコロがある。皆さんも、まずは日常の中にイドコロを見つけてみるといいのではないでしょうか。

※1 参考資料
朝日新聞 ”徳島大学大学院社会産業理工学研究部の山本哲也准教授らの研究グループが1万人規模のオンライン調査をしたところ、強制力のない自粛要請のもとでの生活に半数近くが精神的苦痛を感じ、2割近くは治療を要するうつ状態だったと推定された。この結果は論文にまとめ、国際学術雑誌に報告した。” https://digital.asahi.com/articles/ASP1Y6SR6P1VPTLC01P.html
山本哲也准教授のサイトでの紹介
https://www.catlab.info/covid-19
※2 参考資料
平安貴族の遅刻 https://www.jstage.jst.go.jp/article/timestudies/1/0/1_31/_article/-char/ja/

PROFILE

伊藤 洋志(Ito Hiroshi)
1979年生まれ香川県出身。京都大学森林科学専攻修士課程修了。ナリワイ代表。ベンチャー企業で就職サイト・雑誌の創刊に参加後、フリーランスとして農業を中心に執筆・編集を行う。現在、個人で始められる小さな仕事「ナリワイ」づくりに取り組む。著作に『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』、『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』(共に東京書籍)がある。
ナリワイをつくる https://nariwaibook.tumblr.com/
SAGYO 風景をつくっていく野良着 https://shop.sagyo.jp/


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